自殺
最近、避けて通れないのが、「いじめ」、「虐待」、「自殺(に追い込まれる)」などの弱者に対する仕打ちだ。
人に理性があり、好き嫌い、嗜好がある以上、残念ながら、これらが無くなる事はないだろう。
動物、昆虫の世界に天敵が存在するように・・・
軽々しく論じられる内容では無いのだが、敢えて私的な見解に触れてみたいと思う。
誰でも大なり小なり、一度や二度は「自殺」が脳裏をよぎった事はあると思う。勿論、私も例外ではない。最初に記憶にあるのは中学2年生の時だ。成績が5段階評価の時代で、オール2だった時に、父に殴られ家から締め出されたのだ。
まあ、学期末の終了式の日は、家を出されるのが「年中行事」だったのだが・・・
当然、行く当てもなく、近くの池(昼間は水面をヘビが泳いでいる!)のほとりの落ち葉の上に寝転がり、暑さ寒さを数時間耐え忍ぶのだ。
その時は、高校受験に対しての時期的なものもあったのだろうが、父の仕打ちは、今までで最もひどかったと思う。当然、晩飯は抜き!
当時は、今のように選択肢も少なく、勉強が出来るか否かが人生の別れ道でもあった。
生きていても仕方がないと思い、漠然と自殺を考えるようなった。
だが、今とは違い「自殺」に対する情報が少ない時代だったため、実行には至らなかったのだ。
その頃、私はプロレスファンになったばかりで、毎週金曜日の8時は、まさにゴールデンタイム。
来週は「北米タッグ選手権(ノースアメリカンタッグ〜懐かしい言葉の響き)」があるので、これを見てから「自殺」しよう。
次の週は「猪木VSハンセン戦」なので、これも見たい。
こうしているうちに、この時は「自殺」しなくて済んだのである。
他人から見れば、その程度の悩みだから、と思われるだろうが、他人からは押し図れないのが「悩み」なのである。
また、これが縁で、不良と呼ばれていた同級生2人と仲良くなる事が出来たのだ。
私は「月刊プロレス」、「週刊ファイト」、「大スポ」を購読し始めており、その知識が彼等に高く評価されたのだ。
クラスの同級生が、「金八」か「太陽にほえろ」を皆が見ていたので、余計にかもしれないが。
今までに他人を、いじめた事があれば、いじめられた事もある。皆、大なり小なり、そうではなかろうか。ただ、最近の「いじめ」は陰湿で、表面に現れるのは氷山の一角に過ぎない。
いくつかの、人生の山を、何とか乗り越えられたから、こうした意見を述べられるのかもしれないが。
社会人になった今でも悩みは尽きないし、「自殺」を考える事が無くなった訳ではない。離職せざるおえなかった時や、将来に対する不安等の悩みは尽きる事はない。
「プロレス」は不思議な、と言うか妙なスポーツで、常に強い選手が勝つとは限らない。相手に攻め込まれ、ボロボロにされても、一瞬の隙をついての「逆さ押さえ込み」や「首固め」などの返し技で逆転する事も多々ある。
ルールを逸脱した相手や、レフリーに手を出すと、「反則勝ち」を拾う事もある。
ロープ際の攻防での「リングアウト勝ち」や「時間切れ引き分け」もある。
また、主催側のルールによって(ひと昔前だが、3本勝負等では、ピンフォール、ギブアップを含まなければならない)は、ベルトが移動しない事もある。
タッグマッチもあれば、仲間の裏切りもある。
勝ち方は多種多様なのである。
人生の縮図を見ているようでもある。
「プロレス」での例えで恐縮だが、自分で自分の可能性を閉じる事だけは避けて欲しい。また、一時の感情で一生を棒に降るような事も同じだと思う。
父に対しては、自分の力が上回った時に復讐してやろうと思ったりもしたが、年老いた現在の姿を見ると、そんな気持ちは失せてしまうのだ。
時間の流れも大切な要素なのかもしれない。
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